プレッシャーの心理学

心の風景

プレッシャーの心理学

 プロ野球の勝敗の予想は、かつてのシンボリ牧場(注1)の名馬たちのように、絶対の本命馬を出走させた年の有馬記念を予想するよりも遥かに難しい。確率は2分の1だが、野球には、何が起るか見当つかない不確定要素が多すぎるのだ。

 野球のゲームの展開の妙は、一つのプレーヤーや、微妙な空気の変化によって予想し難い流れを作り出してしまうところにある。これは非常に読みにくい。競馬もレース展開の妙という部分を多く持つが、直線勝負に入ってからの差し脚のパワーの差は、過去のデータから推量可能である。結局、強い馬がG1レースを制する競馬に比べれば、プロ野球のデリケートさは出色である。このデリケートさを読み解くところにこそ野球の心理学の醍醐味がある、と私は考える。

 この醍醐味を、存分に味あわせてくれた印象的なゲームがある。かの有名な、巨人対中日の最終決戦(注2)がそれである。

 勝ったチームが優勝という、エキサイティングなこの試合に対する盛り上がり方は尋常でなく、両軍ナインに与えたプレッシャーの凄さも、想像するに余りあった。だから私はそのプレッシャー度によって、このゲームを考察しようとした。そこに、プレッシャーの相当の落差があると考えたからだ。

 その結果、このようなゲームに限って勝敗が予想されると考えたのである。当然のことだが、プレッシャーを多く引き摺ったチームほどプレーに流れができず、それを修復できないまま、ゲームオーバーを迎える確率が高いのが、野球に象徴される団体競技としての多くのチームスポーツなのである。プレッシャーは、チームプレーを破綻させてしまうのだ。

 では、この最終決戦では、いずれのチームがプレッシャーを多く引き摺ってしまったか。間違いなく、中日である。この最終決戦までの流れの中で、巨人は連敗によって楽勝ムードが吹き飛び、中日は連勝によって諦めムードが吹き飛んだ。この両軍のペナント終盤の対照的な展開の妙が、それぞれ全く異なる精神状態を作り出してしまったと思われる。この状態の差が勝敗を分けたのである。
 
 私の定義によると、プレッシャーとは、「絶対に失敗(敗北)してはならないという意識と、もしかしたら失敗(敗北)するかもしれないという、二つの矛盾した意識が同居するような心理状態」である。そのため、固有の身体が記憶した高度な技術が、ゲームの中で心地良き流れを作り出せない不自然さを露呈してしまうのだ。

 この二つの矛盾した意識が自我の統括能力を衰弱させ、均衡を失った命令系統の混乱が、恐らく、神経伝達を無秩序にさせることで、身体が習得したスキルを淀みなく表出させる機能を阻害してしまうのではないか。そう思うのだ。

 連敗地獄の巨人は、「絶対に負けられない」というプレッシャー感を、まさに負け続けてきたことによって解体できたのである。「絶対に負けるかもしれない」という意識から、「絶対に」という、凝固したかのような思いが消えることで過剰なプレッシャーが中和され、土壇場で開き直れたのである。一方、開き直って連勝してきた中日は、最終決戦を前にして、初めて、「絶対に負けられない」という意識に搦(から)め捕られてしまった。そこに、極めて厄介なプレッシャーが噴き上げてしまったのだ。

 「絶対に負けられない」という意識の発生だけなら、単なる緊張感で済ませたかも知れない。彼らはプロスポーツの、鍛えられしタフガイなのだ。しかしそこでの状況は、精神的に相当苛酷であった。「追い詰められた巨人が、このままで済ますわけがない」という余計な観念も随伴してきたであろう。こういうとき、多くの場合、人は敵の心理状況を過剰なイメージで結んでしまうものなのである。このイメージの過剰な氾濫の中で、中日ナインの中に、「もしかしたら、この試合は負けるかも知れない」とう意識が出来してしまったように思われるのだ。

 ここに、俄かに得体の知れないプレッシャーが中日ナインに膨張してきてしまったと考えられる。緩慢なプレッシャーの形成なら対応の手立てがあるが、唐突なるプレッシャーの膨張を抑える手立ては簡単に見つからない。しばしば、「ここで勝ったら優勝(中日)」という意識が生む重圧感は、「ここで負けたら、それまでだ」という意識が生む重圧感を上回るのである。

 このゲームの帰趨は、戦う前にほぼ見えていた。野球の心理学が勝敗を暗示していたのである。

 あのような状況で、なぜ中日は開き直ることを続けられなかったのか。あの状況の突沸のさまに、若いナイン、とりわけ最終戦に登板したサウスポーの若きエース(今中慎二投手・注3)の身体は、いつもの躍動感を失っていた。彼の自我は、あの過熱した空気にすっかり呑み込まれていたように見えたのだ。その前日までの連勝の記憶を忘却し、敵への過剰なイメージを捨て、オープン戦のような気楽さでマウンドに立つということ自体、もはや有効でないような突沸のさまがそこにあった。
 
 あの異様な状況下で、情報を完全に遮断したら却ってプレッシャーを増幅したであろうことを考えたら、殆ど国民的大イベントになりつつあった最終決戦に対する、中日ナインの基本スタンスの選択肢は限定的であったように思える。

 ホーム開催であったが故に、中日ナインのプレッシャーがより強まったと言えるかも知れないだろうが、それにも拘らず、「決戦」を迎える中日サイドにとって、状況を有利にする選択肢があるとすれば、寧ろ、巨人をサポートする声の多い過熱な空気を逆手にとって、その巨人を倒すことを生きがいにするような空気を煽って、その逆巻くアンチ魂で突き抜けていく以外になかったのではないか。

 憤怒のエネルギーは、束の間内在する、プレッシャー意識の矛盾を潜在化させることが可能である。なぜならプレッシャーは、自我が自らと戯れる、必ずしも心地良いとは言えない時間的余裕を作り出してしまうから厄介なのだ。憤怒によって意識に余裕を与えないという方法論もまた、敵に勝つ限定的なスキルの一つなのである。

 現に、星野監督が率いた中日のリーグ優勝(1988年、1999年)の秘訣の一つは、「憤怒の心理学」にあると私は見ている。

 巨人贔屓(びいき)の世論に敢えて挑発する言辞を重ねて、それをナインに間接的にアナウンスする。その効果は絶大であった。彼らは巨人戦に闘士を剥き出しにし、何度も接戦を制していったのである。その中日が、その年の日本シリーズでダイエーに粉砕されたのは、ダイエーに対して、「憤怒の心理学」が巨人戦に対したときのそれのように、十全に機能し得なかったという裏読みも可能であったと言えるのだ。

 ここ一番という大舞台では、憤怒のエネルギーのような非合理的な感情が、しばしば決定的推進力になるのである。これがプレッシャーのホットスポットを押さえ込んでしまうのだ。「野球の心理学」の興味が尽きない所以でもある。

 次に、他の事例によって、「プレッシャーの心理学」を考えてみる。

 「プレッシャーによって、優勝を逸した阪神タイガース」―― これがテーマになる。

 ハッスルプレーで気を吐いた亀山選手(注4)が人気を得ていた頃のこと。
 当時、万年最下位の阪神が、よもや優勝という現実が最接近した年があった。中村監督(注5)の気力が充実しているように見えたその年、あと一勝で優勝という局面を開いた阪神は、目前のご馳走を食べ損なってしまったのである。

 阪神のこの呆気ないほどの自壊現象を目の当たりにして、私はチームの中で何かが起こったに違いないと考えていた。

 阪神の監督がその後、何代か代替わりして、人気の亀山選手も故障が癒えず、任意引退していた。その亀山選手が再び注目を浴びたのは、現役プレーヤーとしてではなかった。彼が監督していたリトルリーグのチームが、世界一になったという報道の余波で、彼がメディアに登場したときのことである。そのとき、彼がメディアで思わず洩らした言葉を耳にして、私の殆ど忘れていた疑問が氷解したのである。

 そこで、亀山選手の話した内容は、優勝を逸した当時の、阪神ナインの精神状況についてであった。

 要約するとこうだ。

 1992年のことである。

 その年、阪神タイガースが優勝を目前にしたとき、それまで阪神流の欲のない戦い方で、シーズン後半を抜けてきた全ナインに向かって、中村監督はあからさまに優勝宣言をしたらしい。歴戦のベテランたちはこれに強く反応し、優勝の成功報酬を期待して海外旅行の話に花が咲いたそうである。ところが、同乗したバスの中で、亀山選手ら若手選手は一様に萎縮してしまったとのこと。膝がガクガク震え、唇が蒼白になって、若い戦士の気迫が吹っ飛んでしまったのである。まさに、典型的なプレッシャーだった。

 この回顧談を聞いたとき、プレッシャーで萎縮した若手選手の心境が透けて見えるようだった。同時に、優勝宣言を放って見せた中村監督の方にこそ、プレッシャーの魔物が取り憑いていたのではないかと思えた。敢えて選手にプレッシャーをかけることで、自分の呪縛を相対化しようと図ったようにも見えるのだ。そうでなかったら、監督は空気の変化を読み間違えている。選手のメンタル管理の、そのデリケートな有効性についての把握に欠けている。そう思った。

 この年、このチームは若手の台頭でシーズンを抜けてきた。亀山選手に代表される伸び伸びしたハッスルプレーが、充実したベテランの技巧と上手に嵌って、しばしば目立つように勢いをプロ野球シーンに残していた。ここまでは阪神流の理想形を、それなりに表していたのである。

 ところが、優勝を意識した監督が、それまでバントの指示すら出さなかった亀山選手に、きめ細かいプレーの実践を性急に求めたのである。俊足巧打が身上の亀山選手に、中村監督が敢えて犠打をさせなかったのは、併殺逃れで出塁させた後、スチールさせる戦法の効率の高さを買っていたのであろう。そんな放任野球を、このときに限って、中村監督はどうやら自己放棄したように見えるのだ。

 日頃から組織的に、目的意識的に練習させてこなかったプレーを若手に求めるときに、しばしば根拠にされるフレーズを推測すると、「プロならやってみろ」という文脈であろうか。

 ところが、こんな正論が若手ナインにとって、一種の恫喝のように思われてしまうほど、この年のこのチームは、軽快なフリー走行で流してきてしまったらしい。そんなナインから見ると、それまで誰も真剣に考えてこなかっただろう優勝の重圧感に、監督自身がまさにもがいているという印象を受けたに違いない。監督の心の揺れに、勢いだけで抜けてきた若手が敏感に反応し、未知の恐怖に必要以上に竦んでしまった構図が垣間見えるのだ。監督はこれまでのように決定的状況を深々と包容し切れなくなっている、とベテラン選手もまた見透かした。そのことに若手は却って不安を増幅させてしまった。そんなところではなかったのだろうか。

 ともあれ、極度の緊張によって、グリーン上でボールを転がすことを目的とするパターなどの際に、思い通りに体が動かなくなる「イップス」というゴルフ言葉があるが、決定的な局面で個人の記録を捨てることが何よりも要求される、典型的なチームスポーツである野球においてこそ、このイップス症に取り憑かれたの如く見える危うい心理現象が現出するのは言うまでもない。イメージ通りに身体が動かず、プレーの決定的局面で決定的なミスを犯すことでゲームを呆気なく壊してしまう、言いようがない恐怖と同居するスポーツ――― それこそが、プレーの中で不連続に形成される「間」を、冷静に支配することを不断に求められる、この野球という得体が知れない集団競技の怖さなのだと思う。

 このスポーツは、指揮官の尋常でない行動のその断片ですら、チームの空気を変えてしまう力を持ってしまうのだ。指導者たるものが、不自然な印象を残して変えた力は、それを上回るほどの集合した意志の力(集団凝集性)を、そこに存分なほど媒介させない限り、ある種の「分」を越えた飽和状態の、その能動的な再構築は恐らく望めない。そういうナイーブな難しさが、とりわけ、この国の野球にはある。そう思われてならないのだ。

 空気を変えることが有効であるのは、そこで変えた空気が、同時に膨張してくる巨大なプレッシャーを充分に統御し得る、極めて高い蓋然性を予想させる場合のみである。

 ベテラン中心であって、仮にプレッシャーへの一定の免疫が備わっている気力充実のチームであったならば、明白な空気の変化に、寧ろ良好な反応を示したかも知れない。彼らベテラン連中が、単に「負けられない」という意識ではなく、経験的に「負けるわけがない」という意識でどっしりと構えていたならば、上からの空気の加工は一服の良き劇薬にもなるのだ。

 なぜなら、プレッシャーのコア意識とは、詰まる所、「負けるかも知れない」という大いなる不安の旋律なのである。この旋律に対峙し得るのは、「負けるわけがない」という経験的自負のみである。この経験則は、紛れもなく、ベテランのカテゴリーのうちに含まれるだろう。大いなる不安の戦慄に囚われていないベテラン選手が示す、そこでの最大集中力によってゲームの展開に余裕含みの好ましい流れが生まれて、その自然なる熱気に触れた若手が、本来の勢いをそこに取り戻すのだ。

 ダイエー初優勝(1999年)のとき、秋山、工藤両選手(注6)が推進力を担ったケースは、以上の好例である。この推進力によって、このチームが日本シリーズを制覇したのは、偶然ではなかったと言えるだろう。

 残念ながら、この年の阪神にはそれがなかった。

 空気を加工する条件があまりに不足していたからだ。空気の変化の失敗が全てを語ってしまったのである。試合に臨むとき、既に熱量の過半を蕩尽するような空気の変化は、恐らく全て失敗するのである。熱量の多くを奪われた身体の中から、ゲームを制するために必要なだけの「最大集中力」と、それが保証する「最大闘争心」を、常に自給していくのは殆ど困難である。空気の加工は相当のリスクを伴うのだ。メンタル管理の微妙な落差が、決戦の局面で映し出されてしまうということである。
 
 目前のご馳走を食べ損なう者には、食べ損なっただけの、何かある種の重大な敗因が隠されていると考えた方が無難だろう。そんな敗因の解析によってしか、何もかも始まらないのである。

(注1)初期の名馬であるスピードシンボリの血を引くシンボリルドルフ(皐月賞、菊花賞、ジャパンカップ、天皇賞、有馬記念など「G1レースの七冠」を達成して、海外のレースにも出走した)、シリウスシンボリ(ダービー馬)などを輩出した名門牧場。(筆者注)

(注2)1994年10月8日、ナゴヤ球場で、公式戦最後に当る130試合目の、セ・リーグ優勝をかけた最終決戦が行われたが、今なお、球史に残る試合として語り継がれている。巨人は試合前、「絶対我々が勝つ」という長嶋監督(当時)の、檄を発したミーティングによって、ナイン一丸となった戦闘ムードを作り上げたと言われる。長嶋監督が、この中日との最終決戦に臨むに当って、「国民的行事」とコメントした逸話は有名。更に、その後の日本シリーズで西武ライオンズを破って、長嶋監督は初めて日本一となった。因みに、長嶋監督の「メイクドラマ」という言葉が流行語大賞になったのは、奇跡の逆転優勝を飾った2年後である。(筆者注)

(注3)大阪府出身。1990年代の中日ドラゴンズのエースとして大活躍した。13年間のプロ野球生活の中で,通算91勝をあげ、通算防御率も、「打者有利」の時代の中で、3・15と言う素晴らしい成績を残した。  

―― 以下、本人の著書の中から、当日の心理状況を簡単に検証してみる。
 
 その中で、今中投手は「国民的行事」と言われたその日を迎えるに当って、「前夜は普段通りに寝つけたし・・・ワイドショーを観ていても緊張することはなかった。(略)あとは数時間後にマウンドに立って自分が投げることに関しては、緊張もプレッシャーも、ぜんぜん感じていなかった」という心境で臨んでいたらしい。

 しかしゲームが始まって、彼は明らかに猛烈なプレッシャーの虜になっていったと思われる。2回の表に、巨人の落合選手に、真ん中高めの平凡な甘いストレートを本塁打されたときの思いを、「あの時の僕は明らかに平常心ではなかった。優勝決定戦という重圧を意識しないようにしたつもりだったが、やはりどこかで微妙に感じ取っていたらしい。(略)落合さんだけには打たれたくないという気持ちが、投球に力みをもたらせていたのだ」と書いている。

 更にその直後、同点に追いついてもらった今中投手が、決定的な3点目を許したときの打者もまた落合選手だった。同様に、甘いインコースのストレートをタイムリーされて、彼の気持ちはここで完全に切れてしまった。彼は後に、そのときの心境を正直に記している。その中で、当人にもコントロールできない精神状況が読み取れるのである。

 「僕は動揺した。(略)痛かった。気持ちが切れた。ショックは、あまりにも大きかった。務めて平静を装ったつもりだったが、実際はすでに自分をコントロールできなくなっていた」(「悔いは、あります。」今中慎二著 株式会社ザ・マサダ刊)(筆者注)

(注4)亀山努。鹿児島県奄美大島出身。1992年から94年にかけて、阪神タイガースで活躍したが、怪我による戦線離脱によって、97年に戦力外通告を受け、引退を余儀なくされた。現役時代は、ヘッドスライディングに代表されるハッスルプレーで、人気を博した。引退後、1999年に枚方リトルリーグで、少年野球世界大会に於いて優勝を果たす。(筆者注)

(注5)中村勝広。千葉県出身。1970年代後半の阪神タイガースの現役時代は、正二塁手として活躍した。その後、阪神の監督になり、Bクラスを低迷するが、1992年には優勝争いをした。(筆者注)

(注6)秋山幸二選手は、1994年にトレードによって、工藤公康選手は、1995年にFA宣言によって、西武ライオンズから福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に移籍して、パ・リーグ優勝に貢献した。(筆者注)

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